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チェロを食べた人

執筆者の写真: Keiko Iris Yamada
Keiko Iris Yamada
9月11日
読了時間: 3分
Bread of Life












Bread of Life, 2019

20x10 inch

Acrylic on Canvas




この作品は「命のパン」と題して、ヨハネの福音書6章48節から着想を得ています。


その聖書箇所でイエスはこのように言っています。


「わたしはいのちのパンです。」


この作品がヨハネの福音書6章48節から着想を得たものなら、パンはどこにあるのかと疑問に思うかもしれません。


詳細に入る前に、チェロを食べた男について話したいと思います。


ある日、私は音楽家が集まるカンファレンスに参加していました。ゲストスピーカーは、世界的に 有名なチェリストの一人でした。参加者たちは、彼に直接質問できる機会に興奮していました。


その中の一人が手を挙げて尋ねました。


「私たちは楽器をもっと音楽的に演奏するにはどうすればいいですか?」

彼は少し間を置き、こう答えました。


「チェロを食べなければならない」


会場は笑いに包まれました。戸惑う人もいれば、冗談だと理解して微笑む人、目を丸くする人も いました。


私はそれが非常に深い意味を持つと思いました。彼が言いたかったのは、私たちは楽器と一体 でなければならないということです。楽器のすべての部分に精通し、正確さと精密さを持って演奏 し、手だけでなく、私たちの魂のすべての部分で演奏することです。


しかし、イエスはさらに衝撃的なことを言いました。


“イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、

あなたたちの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、

いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。”

ヨハネによる福音書 6章53-56節 新共同訳


イエスは、聞き手が日常生活の中で馴染みのあるものを用いて、さまざまのことを説明し、教えられました。ここでも、誰もがよく知る「パン」を用いて語られました。


しかし、イエスはそれを私たちが文字通り受け取り、まるで吸血鬼のような行為を求めているわけではありません。


そうではなく、私たちの魂の最も深い渇望と飢えに対する答えをくださっているのです。


イエスは言われた。「わたしが命のパンである。

わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、

わたしを信じる者は決して渇くことがない。

ヨハネによる福音書 6章35節 新共同訳


イエスはいのちのパンなので、私たちは彼の中におり、彼は私たちの中にいます。イエスが私たちと共にいない場所は世界にはありません。


私たちは目に見える形でパンを見られないかもしれませんが、イエスは私たちの周りにいて、私たちの内にいます。


私たちはまだイエスを顔と顔を合わせて見られないかも知れませんが、彼は私たちの周りにい て、私たちの内にいます。


これが私がこの作品「いのちのパン」を通して表現したかった核心です。


今年が素晴らしいスタートであったとしても、困難あるスタートであったとしても、私たちは決して孤児のよ うに一人ぼっちではないことを、毎日思い出せますように。私たちがイエスのもとに来るとき、彼が満たせ ない飢えや渇きはありません。ただ彼のもとに来て、彼に信頼を置くだけでいいのです。








 
 
 

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