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すべてを与えた愛

更新日:5月12日


Love that gave Himself by Keiko Iris Yamada

love that gave himself

(5th painting of Pursuing Love Series)

Artwork inspired by galatians 2:20

Keiko Yamada

Acrylic Painting on Canvas

24 x 30 inch


今日の作品のタイトルは「Love that Gave Himself - すべてを与えた愛」です。このタイトルを読んで、そんな愛がこの世に存在するのだろうか、と思うかもしれません。

私が20代の時にお付き合いしていた男性はとってもロマンチックな人で、たくさんのものを与えてくれました。外国人だったせいか、愛を表現するのに躊躇せずに大胆でした。当時それがとても新鮮に感じたのを覚えています。でもやはり結婚までは...と思わされた私は別れを切り出すしかありませんでした。別れてしばらくした後、プレゼントしたものを返してくれと言われました。そこまでに傷つけてしまったのかと思い、言われるままに返しましたが、今までの愛は何だったのかと、ものすごく考えさせられました。愛とは取引なのか、とか相手をコントロールするための道具に過ぎないのか、など。

毎年ベストセラーを誇る聖書にはこう書いてあります。

神は愛です。
ヨハネの手紙 第一 4章8節

神にしか示すことのできな愛がある、それを一番象徴することができるものが十字架です。この作品の左側に十字架が描かれているのもそのためです。


CROSS 〜十字架が象徴するもの〜

私はクリスチャンになる前から十字架のアクセサリーをよく好んで使っていました。でも、十字架とは元々最も残酷な処刑の道具で、今で言えば死刑に使われる電子椅子をアクセサリーにしているものだと知った時大きなショックを受けたことがあります。

十字架は私たち誰もが持っている心の内側の汚れの代価を表すものです。だからこそ、私たちの考えや心が全て録画されたとしたら、どうぞ全国放送してください、と言える人は一人もいないのです。

その汚れを取り除こうと私たちは「良いこと」をしたり、汚れを隠そうとします。でも、イエスキリストが十字架で私たちのため現してくださった犠牲的な愛の行動とは、私たちの代わりにその汚れの代価を支払ってくださったことです。そこに「すべてを私たちのために与えた愛」があります。

私は18歳の時に、その愛について初めて聞き、体験した時に深く感動し、クリスチャンになりました。でも当時クリスチャンとして生きるとはどういう意味かよくわかっていませんでした。

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📖 立ち止まって考える

自分の内側に汚れがあると思いますか?それをどのように取り扱っていますか?そのためにイエスキリストが十字架で成し遂げてくださったことがあるとしたら、どのように応答しますか?

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Double Cross to explain Galatians 2:20

DOUBLE CROSS 〜二重の十字架〜

この作品の十字架をよく見ると、単なる一つの十字架ではなく、二つの十字架が重なっています。

このように描いたのは、ガラテヤ書2章20節の言葉によるものです。
私はキリストとともに十字架につけられました。 
もはや私が生きているののではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。   
今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、
私のためにご自分を与えてくださった
神の御子に対する信仰によるのです。  


これはクリスチャンとして生きるとはどういう意味かを表す言葉の一つでもあります。

二つの十字架が重なっているのは、クリスチャンとして私たちもまたキリストと「共に」十字架につけられたからです。私たちが実際に十字架につけられる、という痛々しい意味ではありません。分かりやすく言うと、神なしで生きる古い自分はキリストと共に死に、神と共に歩む新しい自分が生きる、という比喩的な表現です。

クリスチャンになってからも、イエスキリストをより深く知るほどに、変な言い方かもしれませんが、ますますイエスキリストが好きになりました。私の中の汚れを知りつつ、その汚れの代価を十字架で支払ってくださったイエスキリストを。だからこそ、教会でもよく奉仕し、クリスチャンの団体でもあらゆる働きをしてきました。

しかし、そのように長年働いてきた中、人々の神に対する心さえも利用する自称クリスチャンもいるということを知りました。キリストを愛するからクリスチャンなのではなく、キリストを利用する自称クリスチャンもいることに。

クリスチャン団体や教会は、イエスキリストの愛のゆえに、顧みを求めず仕える人によって成り立っているところがほとんどです。私もそのように働いて来た中、実はある人達が背後で私を金儲けの道具として使っているに過ぎなかったということがわかった時は流石にショックでした。そのほかにも、クリスチャンとして信頼していた人が、平気で嘘をつく、責任転嫁する人だとわかった事件も経験しました。このような体験はクリスチャンとして大きな躓きになりました。

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Love that Gave Himself by keiko Iris Yamada in Gallery Context

見下ろされた十字架


この作品をよく見ると、視点の違いが表現されています。左の十字架は上から見下ろす視点で描かれ、右下の鮮やかな木は下から見上げる視点で描かれています。

神様は確かにおられる!という経験をしつつも、他のクリスチャンにつまづいたからこそ、教会から、そして神様自身からも離れてしまった、という人も少なくはないと思います。その結果、感動のきっかけだったはずの十字架に対する見方も変わってしまったかもしれません。

私もこのような経験を通して十字架や自分のクリスチャンとしての歩みを複雑な思いで見るようになり、自分の注いだ全てが無駄だったかのように感じ始めました。

この葛藤は長く続きました。

その中で、起こった出来事を振り返る中、確かにイエスキリストが私を守ってくださったという確信もありました。そのようなショックな出来事が起こる前に、愛する夫と出会い、結婚という形でそこから脱出できるようにしてくださったからです。この絶妙なタイミング、そして神様が備えてくださったあらゆる人々や物事を通して、確かにキリストが生きておられると言わずにはいられませんでした。

いのちの木を見上げる


最後に、右下に描かれた鮮やかな木に目を向けてください。それは下から見上げる視点で描かれています。先ほどの「十字架を見下ろす視点」とは対照的です。

この世は、残念ながら、神や聖書さえも利用して、自分の欲を満たそうとする人たちで溢れています。よく知られているカルトほど聖書を利用している特徴もあります。健全な教会や集まりだったところでも、孤立しているほどに徐々にカルト化してしまう場合もあります。

だからこそ、「私こそ真実を知っている」と傲慢になるよりも、真実を追求し続けることがいかに重要かと言うことを私自身も学ばされている最近です。

ベートーベンはいろいろな名曲をこの世に残しました。けれども、どんなに素晴らしい曲であっても、それを演奏する人が下手であれば、その美しさは聞き手に十分に伝わりません。
同じように、キリストの素晴らしさも、それを表そうとする人のあり方によって、正しく伝わらないことがあります。キリストがひどい存在であるかのように誤って伝わってしまうこともあります。でも本来のキリストは十字架で死なれたほど私たちのことを愛してくださっている存在だと聖書は示しています。その愛は歴史上多くの人たちを奮い起こし、暗闇の中に多くの光となってきた力です。

だからこそ、さまざまな人間関係の中でつまずきを経験したとしても、キリストを見上げ、キリストご自身がどのような存在なのかということを学びながら生きてみませんか。

🙏 祈りの提案

愛する神様、私たちがあなたを必要とすることに気づく前から、ご自身を与えてくださったことを感謝します。日々あなたの愛を受け取り、あなたの愛し方を学ぶことができるよう助けてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

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読んでくださってありがとうございます。God bless you!






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